死刑

【坂本堤弁護士一家事件】オウム真理教・麻原彰晃・村井秀夫・早川紀代秀・岡﨑一明・新実智光・中川智正

1989年正義のために戦っていた一人の弁護士とその家族が旧オウム真理教の幹部
に殺害されてしまいました。

幹部たちは、死体を遺棄する際に、カニを食べながら作業をするという、まったく反省していない様子もとても異様に思えた事件です。

後に事件の被害者となる男性坂本堤さんは1956年4月8日にか阿川店横須賀市で生まれました

その地で育っていった坂本さんは神奈川県立横須賀高等学校を卒業後に東京大学法学部へと進学しています。

とても優秀だった彼は大学を卒業した後に管財人弁護士団お手伝いをしながら司法試験の合格を目指して勉強に励んでいました。

そして27歳のときに見事司法試験に合格し坂本さんは晴れて弁護士になったのです。

坂本さんとオウム真理教の関わりの始まり

1989年坂本さんの元に一人の女性ジャーナリストがやってきます。

そこで彼女はある女性を坂本さんに紹介してきました。

話を聞いてみるとどうやらその女性はオウム真理教信者を息子に持つ母親だと
いうのです。

彼女は息子オウム真理教から脱会させてほしいと坂本さんに頼み込んできました。

この相談を受けた坂本さんはオウム真理教と渡り合うことを決めて動き出します。

そして同年5月にはオウム真理教被害者の会を立ち上げていました。

こうして彼はオウム真理教と争う姿勢をあらわにしていったのです。

オウム真理教が週刊誌に特集が組まれる

9月からサンデー毎日という週刊誌でオウム真理教の狂気という特集が組ま
れることが決まります。

その内容はオウム真理教を批判するというものでした。

そこでこの連載が始まっう前から教団と対立していた坂本さんにも取材や執筆の依頼が入るようになったそうです。

オウム真理教教祖の麻原彰晃はこの事態を重く捉えていました。

これ以上教団のことを悪く書かれることは避けたいと考えた彼はとんでもないことを
計画し始めます。

その全貌はサンデー毎日の出版元である毎日新聞社本社を爆破するというものでし
た。

オウム真理教は雑誌を印刷する機会が本社ビルの地下にあると睨んでいたそう
です。

出版を差し止めたい彼らは2トントラックに爆弾を積んだ状態で地下室に突っ込むことを考え出します。

しかしその中で教団は2つの問題に直面しました。

オウム真理教は出版社に2トントラック爆弾を突っ込む事に…

ず1つ目の問題はサンデー毎日がビルの地下で印刷されているというのが推測に
過ぎないということです。

もしこの想定が間違っていた場合は無意味に手を行うことになってしまいます。

続いて2つ目の問題はそもそも2トントラックが地下に入れないということでした

そうなると計画自体が実行不可能な空想の産物ということになってしまいます。

結局この計画は実行されずに終わったようです。

とはいえそれで彼らが何もしなくなるというわけではありません麻原彰晃は続いて
の計画として直接信者を編集部侵入させた上で爆弾を設置するというものを立案して
います。

ですがここでも一つの問題が浮上してきたようです。

それは過去に信者の一人が毎日新聞社に教団のビラを置いてきてしまったという
ものでした。

そのような中でオウム真理教の批判記事を載せている出版社を爆破したとあれば
たちまち疑いの目が向けられてしまいます。

そんな状況を危惧した教団は毎日新聞社や編集部などを爆破する計画を断念したよう
です。

坂本さん殺害のきっかけになったのでは?

一方の坂本さんはオウム真理教の危険性を世間の人々に知ってもらうためTBSが放送していたワイドショー番組からのインタビューを受けていました。

しかしこの情報が放送前に教団幹部の耳へと入ってしまいます。
幹部らは抗議のため10月26日にTBSの千代田分室を訪れましたそこでのやりとりの中で TBS側はインタビューの放送中止を約束するのと
ともに映像を教団幹部らに見せてしまったのです。

そこにはオウム真理教を批判する坂本さんの姿が映し出されていました。

そのことが影響したのか講義の日から5日後の10月31日に坂本さんが務める横浜
法律事務所へと教団幹部がやってきます。

そこで彼らは坂本さんに対する抗議を行いましたですが、坂本さんは一切怯みません
彼は毅然とした態度で幹部らの要求をはねのけ徹底的にやると言い放ちました。

坂本さんをポアする支持を出す。

こうして徐々に追い詰められていった麻原彰晃は11月はたまに教団幹部である村井秀夫・早川紀代秀・岡﨑一明・新実智光・中川智正の5人を呼び出します。

その上で麻原は右手の親指と人さし指で輪っかを作って引く動きを見せました。
これは殺害を意味するポアのサインだったのです。

それから彼は今ポワをしなければいけない問題となる人物は誰だと思うと続けます。

当初麻原はサンデー毎日の編集長の帰宅時を狙って殺害しようと考えていました。

しかし不規則な生活を送っていた編集長の帰宅時間を洗い出すことは難しかったため
別の人物をターゲットに選ぶことにしています。

そして麻原は幹部5人に向かって坂本弁護士をポアするんだよと口にしたのです
この言葉を受け幹部らは犯行に動き出します。

坂本さん殺害準備

まず最初に彼らは信者を通じて坂本さんの住所電話で聞き出しましたこうして坂本
さんの自宅を割り出した幹部らは11月3日の午前九時ごろに村井秀夫が手配した2
台の車に分乗して出発します。

実行犯は麻原から直接ポアの指示を受けた村井、早川、岡咲、新見、中川に橋本聡を加えた計6人だったようです。

彼らは坂本さんの自宅がある横浜に向かう道中で犯行に必要な更新用無線機や変装用
のカツラなどを揃えていきました当初の計画では坂本産後最寄り駅で彼の帰宅を
待ち伏せし現れたところを車でさらって塩化カリウムを注射することになっていた
そうです。

しかし夜になっても坂本さんが最寄り駅に姿を現す気配はありません。

それもそのはずこの日は祝日で出勤日ではなかったのです。

そのことに後から気付いた実行犯らは計画を変更し急いで坂本さんの自宅に向かって
います。

そうして彼らが坂本さん宅に到着したのは午後10時のことでした。

それから岡崎が家の様子を伺いに行きます。

そこで坂本さん宅のドアが施錠されていないことが明らかになりました。

声を受けた早川は麻原に電話をかけ当時の状況を伝えています。

すると話を聞いた麻原はたくないに入って殺害を実行するように指示してきました。

ですが当初の予定はこの時点ですでに狂っています。

家に押し入って犯行に臨むということは坂本さんの家族とも鉢合わせることになる
のです当時家の中には坂本さんのほかにも妻の智子さんと息子の龍彦君がいたのだと
いいます。

早川はその二人をどうするべきかと麻原に問いかけました。

麻原から家族殺害の指示

すると麻原は次のように答えたのです。

しょうがないんじゃないか一緒にやるしかないだろう。

この言葉によってターゲットが1人から3人に増えてしまったのです。

電話を切った早川は電話の内容を他の5人に話計画を
実行に移す前に再度最寄り駅へと向かっています。

これは坂本さんが本当に家の中にいるのかを確認するための行動でした。

結局彼らは終電まで待ち続けたようです。

しかしそれでも坂本さんの姿が見えなかったため、やはりへの中にいるのだという結論
に日をまたいだ11月4日に坂本さん宅へと戻っていきます。

坂本一家殺害実行

そして6人は近隣住民も寝静まった午前3時ごろに宅内への侵入を開始しました中に入るとそこには川の字になって寝る坂本さん一家の姿があったのです。

それを目にした橋本は早速坂本さんに殴りかかります。

これによって目を覚ました坂本さんは自分が何者かに襲われているということだけを
理解し必死の抵抗を見せようとしました。

しかしそんな彼に注射器を持った中川は掴みかかり塩化カリウムを躊躇なく
打ち込んだのですただこれが筋肉注射になっていたらしくなかなか効果は現れませ
んでした。

そこで中川は打ち直しを試みるのですがその中で注射の針が曲がっ
てしまいます。

そのようにして彼らがもたついている間も坂本さんは暴れ続けていました。

注射が使えなくなったことを知った橋本は抵抗する坂本さんの息の根を止めるため首の骨を折りにかかります。

これにより抵抗むなしく坂本さんは窒息死してしまいました

妻、智子さん、子、龍彦くんも首を絞まられ…

その後妻の智子さんも暴行を受けた後に首を絞められて実測ししてしまいます。

そんな中隣で寝ていた当時11歳の長男龍彦君が騒ぎによって目を覚ましてしまい
ました。

そして大声をあげて泣き出したのです。

これに慌てた中川とに意味は龍彦くんの鼻と口を押さえつけそのまま彼を窒息死させ
てしまいました。

そうして一家の殺害を終えた6人は遺体を家から運び出しそれぞれ別の場所に行きし
ています。犯行を得た実行犯たちは麻原の元へと帰っていったのです。

死体をいきした後景気づけにカニをたべる

その後、遺体をばらばらに埋め、
穴を掘る間に、購入してきたカニを食べて英気をやしなっていた。

オウム真理教のバッジを現場においていく

このようにして殺害は成功に終わったわけですが、実行犯の一人である中川は一つの
重大なミスを犯していました。

彼は現場となった坂本さんの家にオウム真理教のバッジを落としてきてしまったの
です。

これにより一家の失踪にオウム真理教が関与しているのではないかとの声が上がるようになっていきましたですが教団はこの危機をうまくくぐり抜けます。

彼らはバッジが坂本さん宅に落ちていた理由について坂本さん本人が被害者の会の親から預かったものか第三者が故意に置いたものだろう。

と主張したので素股それと同時に警察の捜査に協力するとも話しているの
ですが結局は集中修行があるなどとして事情聴取を拒否しています。

そして最悪なことに事件の指揮を執っていた刑事部長が一家が自らの意思で疾走した
可能性を指摘し始めたのです。

これにより真相からはさらに遠ざかっていってしまいます。

そんな中教団内では異様な仲間割れが起こっていました実行犯の
一人だった岡崎が突如として疾走し電話を通じて麻原に犯行の口止め料
1000万円を要求し始めたのです。

これに対して麻原は言われた通りの金額を振り込むと約束したのですが岡崎は
1990年2月16日に神奈川県警宛ての手紙を匿名で送付しています。

神奈川県警は情報を知るが、オウム真理教の足をつかめず

そこに記されていた内容は龍彦君の遺体が日向屋
埋めてあるであるというものだったのです。

手紙を受け取った神奈川県警は長野県警と協力して遺体の捜索に当たっていますが
発見には至っていません。

この時点でオウム真理教を解体まで追い込めなかったため続けて松本サリン
事件や地下鉄サリン事件などが起こされてしまったのです。

結局麻原をはじめとする教団幹部が逮捕されたのは1995年3月僅かに発生した地下鉄サリン事件の後のことでした。

逮捕後、岡崎は坂本一家殺害事件の真相を詰めて語っています。

このことがきっかけで再び捜査が開始されたようです。

そして1995年9月6日に坂本さんと智子さんの遺体が発見されることとなり
ました。

見つかった智子さんの遺体はチーズ状になっていたそうです。

それから4日後の9月10日には龍彦君を
遺体も発見されました。

その後行われた裁判で首謀者の麻原と生き残っていた実行犯全員に対して地形判決が言い渡されています。

彼らの死刑は2018年7月6日と7月26日の2回に分けて執行されました。

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