未成年事件

【神戸連続児童殺傷事件】少年Aが出所後に本を出版していた

1997年兵庫県神戸市で日本中を震撼させる事件が起こりました。
今回は事件の内容とその後について発覚している事実と犯人の証言をもとにまとめて
いきます。

少年Aの生い立ち

1982年7月7日後に事件を起こすこととなる少年Aが県神戸市で生まれました。

そんな少年Aの父親は仕事で多忙な生活を送っていたそうです。

彼はたまにある休みにも自分の趣味であるゴルフに出かけてしまっていたらしく、
家族と共に過ごす時間はほとんどありませんでした。

そのことからもわかるとおり父親は息子である少年Aに対して関心を寄せていなかった
のです。

がそんな中映画1歳になった頃に一家には次男が生まれています。

それからというもの母親は少年Aを突き放して育てるようになっていきました彼女は 少年Aに対してかなり厳しい教育方針をとっていたらしく
一般的にはまだ自分で身の回りのことができない年齢とされているころの少年Aにも
トイレや食事着替えなどといったことを彼一人でさせようとしていたそうです。

さらに三男が生まれてからの母親は睡眠不足に陥っていき常にイラついているような様子だったといいます。

そんな環境で育った少年Aは自分が母親に愛されていないと感じるようになり
自己肯定感がどんどん下がっていってしまったようです。

その結果、彼の心は歪んでいってしまいました。

そしてその歪みは徐々に表へと出てくるようになります。

心のうちに不満をため込んだ少年Aは兄弟げんかをするたびに弟を叩きのめしていまし
た。

彼はいくら弟が泣き叫んでも殴る手を止めなかったのです。
その事を知った母親は少年Aに体罰を与えていましたこれを受けた少年Aは母親に対して不信感だけでなく恐怖までをも感じるようになっていきます。

そのようにして親を恐れていた彼ですが、信頼できる大人も一応いたそうです。

少年Aの唯一の味方が祖母だった

それは同居する祖母でした。
彼女は少年Aに対して厳しい躾をする母親に注意するなどしていたそうです。

そのため少年Aにとっては祖母が唯一の味方となっていました。

しかし彼が小学生の頃に祖母はなくなってしまいます。

少年Aの残虐な行為

それからというもの少年Aはとんでもない行動をとるようになっていきま
した。

残酷なことに彼は自らの手で生き物を殺し始めたのです。

初めの頃はナメクジやカエルなどが殺しの対象だったようですがそれはいつしか
猫に変わっていきます。

その際、彼は狂気として盗んできたナイフや斧などを使用していました。

少年Aそんな恐ろしい行動を続けていたある日、彼の母親が普段使わないショーケースからナイフを発見してしまいます。

これに対して少年Aは友達から預かったと説明していました。

幼い頃から母親を恐れていた彼は嘘をつくことで怒られないよう日曜としていたのです
そして母親は会のウソを簡単に信じていました。

少年Aは中学校では問題行動を起こしように

中学生になってからの彼は多くの問題行動を起こすようになります。

驚くべきことに少年Aは他の生徒の靴を男子トイレで燃やしたり卓球ラケットで何もしていない生徒の頭をたたいたりしていたのです。

その他カッターナイフで他の生徒の自転車のタイヤを切るなどといった行為にも及んでいました。

こうした度重なる問題行動を受け少年Aを親は彼を精神科の病院に通院させるように
なります。

そこでは検査を受けておりADHDだという診断結果が出されたようです
担当した精神科医はその後の対応として少年Aを児童相談所に通わせるのではなく学校の中で指導するべきだとの判断を下しています。

これにより彼は再び中学に戻ることとなりました
精神科医の判断を受け学校側は重点的に少年Aを指導するようになったそうです。

すると彼の問題行動は徐々に減っていきました。

しかしそれはあくまでも学校内での行動に限った話ですそれからも少年Aは動物を殺し
続けていましたが学校内で落ち着きを見せようとしていた分学校外での異常性が増してしまったのかもしれません。

エスカレートしていく少年Aの行動はハド目が効かなくなってしまいいつしかめこの解剖をしたりするようになってしまいます。

これにより家の時下には猫の死骸が溜まっていきました。

最終的に彼は20匹ほどの猫を殺したという人に語っています。

少年Aのこうした行動に関しては彼の異常な癖が影響していました。

というのも一般的に人は成長する中で性的関心と暴力的衝動が分離するとされているの
ですが、少年Aはこの分類がされず動物に対する暴力で性的興奮を感じていたそうなのです。

彼は猫を手にかけていくうちにさらなる興奮や快楽を感じたいと思うようになっていき
14歳の時にはついに人間を殺しの対象にしようと考えてしまいました。

そんな考えを巡らせているとき少年Aは自分以外の人間のことを野菜と同じくらいの
ものだと認識していたと言います。

そのため人を手にかける事は何も問題ないし悲しむ人もいないと考えていたそうです。

こうして事件は幕を開けることとなりました。

酒鬼薔薇聖斗事件第一の事件女児をハンマーでたたきつける

第一の事件は1997年2月10日に発生します
この日の午後4時ごろ神戸市須磨区の路上少年Aはターゲットとなる人物を探していました。

彼は反撃されるのを防ぐため児童を狙おうとしていた様です。

そんな彼の視界に小学生の女児2人が飛び込んできました。

彼女らに狙いを定めた少年Aはゴム製のショックレスハンマーを取り出しますそして二人にハンマーで叩きつけたのです。

これにより1人が軽症もう1人が重傷を負ってしまいました犯行時の少年Aの格好は制服姿だったようです。

被害者の少女がその姿を覚えていたらしく親に犯人の特徴を伝えていますこれを聞いた被害者の父親は少年Aが通う中学校へと向かいました。

その上で彼はを耐えした教職員に対し犯人がわかるかもしれないので生徒
の写真を見せてほしいと頼み込んでいます。

しかし学校側はこれを拒否し警察を通してほしいと説明しました。

仕方なくなく被害者の父親は一度引き返し兵庫県警察に被害届を出した。
上で再度生徒の写真を見せてほしいと学校に伝えています。

ですがそれでも写真が開示されることはありませんでした。

こうした学校側の対応にどういった意図があったのかはわかりませんが、結果的にはあんにんを隠す形になってしまったのです。

なおこの事件に関しては被害者の家族の要望によって
公開とされていました。

結局少年Aが犯人だと判明しないまま時は流れていき1ヶ月後の3月16日に第2の事件が起こってしまいます。

酒鬼薔薇聖斗事件第2の事件初めての死者

その日の昼12時25分ごろ少年Aは次なるターゲットを探すため神戸市須磨区竜が台
にある公園を訪れています。

そしてそこで遊んでいた小学4年生の少女に目をつけました。

少年Aは彼女に言ってを洗える場所はないかと尋ね学校に案内させています。

その後彼は少女の背後からお礼を言いたいのでこっちを向いてくださいと声をかけまし
た。

これを受けた彼女が後ろを振り返ります。

するとそこには金槌を振りかざした少年Aの姿があったのです。

彼はそのまま金づちで少女を殴りつけました。

そして彼女が倒れたことを確認してからその場を後にしています。

この日は1回の犯行では飽き足らなかったようで、それからも事件は連続して起こりました。

1度目の犯行からわずか10分後の午後0時35分ごろ少年Aは所持していたあわたり13センチのナイフを取り出し遊んでいる小学3年生の少女の腹部を突き刺しています。

そして倒れ込む彼女の姿を横目に現場から逃走していきました。

それから間もなくして2人の少女はそれぞれ発見されすぐに病院へと搬送されています。

ですが二人とも回復することはなく、そのまま亡くなってしまったのです。
こうして一連の事件における最初の死者が出てしまいました。

すぐに警察は事件として捜査を開始しましたがなかなか少年Aにたどりつく事にはできません。

そんな中以前からおかしな様子を見せていた少年Aは同級生から通り魔事件の犯人なのではないかと疑われるようになります。

そしてそのうちの一人が少年Aが犯人で間違いないと言いふらし始めました。

この事を知った少年Aはその同級生を公園に呼び出しています。

それは第2の事件から2カ月後の5月13日のことでした。
同級生は言われた通りに公園へとやってきます。

そんな彼を少年Aは腕時計を巻き付けた手で殴りつけてしまいました。

これにより同級生は歯を折るなどのけがを負っています。

この暴力沙汰により翌日に少年Aの親が学校へと呼び出されました。
そして学校側との相談が行われた末に2日後の5月15日から少年Aは中学ではなく
児童相談所に通わされることが決まったようです。

酒鬼薔薇聖斗事件第3の事件友人の弟を殺害

その間も少年Aの中にあったもっと人を殺したいという欲求は高まり続けていました。
そして第3の事件が起こってしまうのです。
5月24日少年Aはターゲットを探すためにママチャリに跨り家から飛び出していきます。

そのまま小学校の北側を自転車で走っていました。

すると反対方向から歩いてくる少年がいることに気が付きますこの少年はへの弟の同級
生だったらしく少年Aとも面識がありました。

そこで少年Aはこの少年をターゲットに決めたようです。

彼は人気のないところに少年を誘導するため考えを巡らせますその中で少年Aは少年が亀を好きだったことを思い出し次のように話しかけたようです向こうの山に亀がいたよ。一緒に見に行こう。

相手が顔見知りの少年Aということもあり少年はこの誘いに乗ってしまいました。

そうして、二人は地元でタンク山と呼ばれていたた高台に移動していきます。

しばらくするとタンク山の山頂手前にある人気のないケーブルテレビのアンテナ施設の
入り口に到着しました。

その瞬間少年Aは本性をあらわにしたで少年に掴みかかります。

そしてそのまま金を絞め殺してしまったのです。

それから少年Aは少年の遺体を見えない場所に隠し事もなかったかのように自宅へと帰っています。

犯行から1日が過ぎ五月二十五日の午前10時ごろ起床してきた少年Aは朝食を食べて
から家を出て行きました。

そうして彼が向かった先は少年の遺体を隠してあるタンク山のアンテナな施設です

現場に到着した少年Aは人の子を取り出し冷たくなった少年の首を切断しました。

そうして顔だけになった少年を見た例はよくも殺し上がって苦しかったじゃないかと彼の声真似をし始めます。

さらに少年Aはそんな自分の言葉に対してキミがあの時間にあそこにいたのが悪いん
じゃないかと返事をするなどしているのです。

酒鬼薔薇聖斗事件警察の捜査が開始される

その姿は凶器そのものでした彼がそんな以上行動を見せている一方で少年の家族は息子
が帰ってこないと警察に通報していたようです。

この通報を受けた須磨警察署は本県が行方不明事件であると断定し5月26日には公開
捜査に追い出しています。

少年の捜索には警察PTA消防団を合わせた計150人が当たっていました。

この日も少年Aは犯行現場を訪れ少年の首を眺めていたようです。

ただそうする中でだんだんと首への興味がなくなっていきます。

そこで彼は次なる計画として、警察の目を欺いてやろうと考えだしました。

警察の目を欺くために中学校に首を遺棄した

少年Aは自らが通う中学である神戸市立友が丘中学校に首を遺棄することで、そこに通い自分は逆に疑われなくなるのではないかと思いついたそうです。

犯行から3日後の5月27日未明
少年の首を持った彼は友が丘中学校へと向かい校門前にそれを遺棄しました。

そして犯行文を取り出しそれを少年の口にくわえさせた上で現場を立ち去っています。

その日の朝、人々によって少年の首は発見されすぐに報道が始まりました。

現場の状況が異常だったこと犯行文が残されていたことなどからテレビで大々的に取り上げられていたようです。

犯行分の内容は次のようなものでした。
さあゲームの始まりです
愚鈍な警察署君僕を止めてみたまえ
僕は殺しが愉快でたまらない人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜どもには死の制裁を積年の大に流血の裁きを。

スクールキラーの酒鬼薔薇事件発覚当初はこうした現場の状況や現場に残されていたものが主な報道内容だったのですが、まもなくしてタンク山に隠されていた少年の胴体部分が発見されたという情報が公開されます。

これを受けた少年Aは驚いていました。

しかし最初の報道では犯人は30から40代の男性と推測されていたようです。

少年Aは新たに神戸新聞社に手紙を送る

そのため少年Aは自分の計画がうまくいったと調子に乗り始め、新たに神戸新聞社宛の
手紙を送りつけています。

その内容はこれまでの報道において酒鬼薔薇を鬼花と読み間違えられていたことに対する抗議と社会への復讐を込めて犯行に及んだというものでした。

少年Aの逮捕

この声明文を回収した警察はそれを筆跡鑑定に回しています。

実はしばらくして捜査線上に少年Aの存在が浮上していました。

報道されている内容だけを信じそんなことを想像していなかった少年Aは墓穴を掘って
しまったのです。

警察は少年Aの作文と2つの犯行声明文の筆跡鑑定を行います。

そうして出された鑑定結果は類似した筆跡が比較的多く含まれているが同一人物の筆跡
か否か判断することは困難であるというものだったようです。

そのため逮捕状を請求することはできなかったそうなのですが、
それで少年A対する疑いが晴れたわけではありませんでした。

なおも警察はか
でのことを疑っていたといいますそこで捜査員らは少年Aにカマをかけることとしまし
た。

事件発覚から1カ月後の6月28日朝10時ごろ、警察が少年Aの自宅を訪れています。

そして家から出てきた少年Aに対してアンコウ声明文のコピーを見せ
こう言い放ちました。

これが君が書いたものであるということははっきりしている筆跡が一致したんや
この言葉はあくまでもかまだけに過ぎなかったわけですが 少年Aはそれに気付かずもう言い逃れはできないと諦めたようです。

彼は声を上げて泣き始め自供をし始めました。

これにより少年Aが犯人であるということが確定し当日19時5分に彼は逮捕されまし
た。

凶悪事件の犯人として逮捕された人物がまだ14歳の証言だったということで世間は
大騒ぎになったようです。

ただ少年法に守られている少年Aの情報が明らかにされることはありませんでした。

少年Aは少年法で守られ、示談が成立

その他では裁判にかけられていますそして逮捕から3カ月半後の10月13日
神戸家裁は医療少年院送致が相当と判断し少年Aは関東医療少年院に移されましたその2年後の1999年には第2の事件でなくなった少女の遺族に会側が約8000万円の慰謝料を支払うことで示談が成立したようです。

そして事件から7年後の2004年3月10成人した少年Aは少年院を仮退院し翌年の1月1日には本体員が認可されました。

少年法によりこれだけの事件を起こしておきながら少年Aはわずか7年程で世に放たれ
たのです。

それからの彼はマスコミに追われながら各地を転々としていました。

その間はコソコソと生活を続けていた少年Aですが2015年に突如として目立った動きを見せるようになります。

少年A『絶歌神戸連続児童殺傷事件』事件についての本を出版

 

その年の6月10日32歳となっていた少年Aは『絶歌神戸連続児童殺傷事件』という手記を太田出版から刊行こうしたのです。

この式の出版に対し被害者遺族は出版中止と回収を求めています。

しかしその思いに反し累計計25万部以上が発行されることとなりました。

これによって少年Aに入る印税は2千万円を超えるとされています。

また同じ歳に少年Aはホームページおよび有料メルマガの解説をしたようです。

ただこれには批判が殺到しホームページは翌年10月に閉鎖有料メルマガに関しては解説の3日後に凍結されています。

それ以降少年Aはあなたな動きを見せていません。

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