懲役刑

【富田林脱走事件】凶悪犯・樋田淳也の逃走劇

2018年大阪府警富田林署の留置場から一人の凶悪犯が逃走していきました。
いったいなぜそのようなことが起こってしまったのでしょうか。

今回の動画では犯人のお生い立ちと逃走劇をまとめていきます。

樋田淳也はどういう人物

後に脱走を成功させる男、樋田淳也は裕福な家庭の長男とし
て生まれました。

樋田淳也の後には妹が1人生まれており最終的に一家は両親樋田淳也、妹の4人家族になったようです。

・父親の死で素行が悪くなる

しかし彼が高校生の時に父親が亡くなって、しまいます。

それまで市役所に勤めながら家族を支えてくれていた父親がいなくなっ
てしまったことで樋田淳也の底は徐々に悪くなっていきます。

以前の彼は祖父母の畑仕事を手伝うなど家族のために動く様子も見せ
ていましたが父親が亡くなった後は不良の世界に染まっていってしまいました。

それからの樋田淳也は不良仲間と共にマイクを改造し暴走行為を繰り返していたそうです。

 

この騒音や危険運転に近隣住民は迷惑して
いたといいます。

 

その他自宅の庭で何かを燃やしていたこともあるらしく、その時は警察沙汰にまでなっ
ているようです。

 

通報を入れた近隣住民は火の勢いが激しすぎてあたりに燃えうつりかねなかったと話し
ています。

そのようにして膝は近所の間でも迷惑な不良という認識を持たれるようになって
いったのです。

年をとってからも彼が変わることはありませんでした。

逮捕されても繰り返し犯罪行為を犯す

むしろ樋田淳也の素行の悪さは時の流れとともに悪化していきました。

成人頃彼はひったくりを繰り返すようになりますその被害点数は10件を超え被害総額は277万円に戻っていたそうです。

また10代20代の若い女性が住んでいるマンションの部屋に忍び込んでは強制性交
や強盗致傷などの凶悪犯罪にも及んでいます。

自分より非力な相手を狙うその卑劣なやり口が樋田淳也の本性を現していました

彼は一度ならず複数回に渡ってう類似した事件を起こしています。

これにより樋田淳也は4回の逮捕を経験することとなりました。

 

そして4回目の逮捕により大阪刑務所に収監されていた彼が出所してきたのは
2018年4月末のことだったようです。

いくら刑期を終えたからとは言っても逮捕ど再販を繰り返すような男が更生し
ているはずがありません。

出所後の樋田淳也はまたのや犯罪に手を染めているのです。

 

そして出所からわずか1カ月後の5月25日に盗難バイクを所持していたところを
見つかって現行犯逮捕されることとなりました。

樋田淳也の脱走のはじまり

この逮捕により樋田淳也は大阪府富田林市にある富田林署の留置常に収監されています。

この時点で前科が多くあった上に余罪も見つかっていた彼が起訴されれば長期の実刑判決を下されることは明白でした。

 

樋田淳也本人もそのことは自覚していたらしく彼はなんとかして誘致所から逃げ出そうと考えだします。

そこで樋田淳也が狙ったのは面会室でした。

樋田淳也は脱走計画を立てる

彼はそこにあるアクリル板を破壊し脱出を図ろうとしていたのですそれを実行に移し
たのは逮捕から約2カ月半後の2018年8月12日でした。

この日の午後7時半ごろから樋田淳也は弁護士との面会を行っていた。

そこでの面会を終えた彼は帰ろうとする、弁護士に対して署員には面会が終わった
ことを伝えないようにと頼み込んでいます。

樋田淳也の脱走開始

これを聞いた弁護士は樋田淳也に言われた通り
何もいうことなく留置所を去って行ってしまいました。

こうして弁護士がいなくなったのを確認した樋田淳也は面会室の仕切りになっている
アクリル板の破壊に乗り出します。

彼は全力でアクリル板に力を加えていきました。

するとアクリル板は徐々に埋まっていきついには10センチほどの隙間ができて
しまったのです。

そこまですると樋田淳也は隙間に体を入れて
いきます。

そうしてアクリル板の反対側へと行くこと
に成功したのです。

それから彼は面会室の外に出て逃走していきました。

脱走に気づかない警察官達

このだそうに当時20人もいた署員は誰一人として気が付いていなかったようです。

驚くべきことに当時面会室のドアの開閉を知らせるブザーを鳴らすための電池は外さ
れている状態でした。

 

さらに署員はスマートフォンを私的な目的で使用するなどしていたのです。

これでは脱走に気づかなくても何ら不思議ではありません。

結局署員が樋田淳也のだそうに気がついたのは闘争開始から1時間半もの時間が経過した
後でした。。

 

留置場を抜け出してからの樋田淳也は羽曳野市まで行き、そこから中央環状線を西に
向かっています。

彼は署員に脱走を気が付かれる前にできるだけ遠くに逃げようとして
いました。

警察の読みが外れる

一方脱走が発覚した後の大阪府警は捜査本部を設置し捜査員3000人を動員しての捜索に当たっています。

当初警察は樋田淳也が土地勘のある地元へと向かいそこに立って
いる空き家やガレージなどに潜伏している。と推測していました。

しかしこの読みはまったくと言っていいほど外れており樋田淳也本人
は大阪脱出に向けて歩みを進めていたのです。

 

彼は必要な物を盗んだり放ったぐったりして集めていたのですが途中手にした携帯
電話を止められていた軽トラックの荷台に乗せるなどしています。

こうすることで警察に樋田淳也が人から奪った携帯を使っていると思い込ませ自分ではなく携帯を載せた軽トラックの位置情報を追ってくれるだろうと踏んでいたのです。

そのようにして捜査のかく乱も狙いながら彼は着々と大阪の端へと移動していきます。

 

職務質問を繰り返すが捕まえられず

警察官が樋田淳也に職務質問をするが…

しかしその道中の海岸で樋田淳也に声をかけてきた人物がいましたその人物は警察官だったのです。

警官は樋田淳也に対して職務質問をし始めました。

これに対して樋田淳也は逃げたりすることなくだ脱走犯ではないふりをして、たんたんと対応していきます。

すると驚くべきことに警察官は樋田淳也の正体に気がつかないまま彼を解放してしまったのです。

これによって逃走は再開されついに樋田淳也は大阪府から脱出してしまいました。

そんな中、捜査本部は防犯カメラの映像をもとにして膝の足取りを追っていたようです。

しかし時間の経過とともに彼の行方につながる情報は減っていってしまいます。

一方大阪を出てからの樋田淳也は盗んだ自転車に乗って色々な家を転々としていました。

どうやら一つの範囲に集中して滞在することを避けようとしていたそうなのです。

この間、彼はあらゆる手段を使って食料や寝床を手にしていました。

食料に関してはほとんどが万引きか、ひったくりで手にした現金を使っての購入
だったそうです。

また樋田淳也はバーナーとフライパンを使って自炊をしたりもしてい
ました。

さらに潮が引いているタイミングの海岸で岩に付いた貝を採って食べることも
あったそうです。

その他逃走の道中で出会った人に食べさせてもらうこともあったといいます。

当然ながらその時の一打は自身の正体を偽っていました。

彼は出会った人々に対して自分は仕事を辞めて日本一周をするために和歌山から出
てきたと話していました。

当時大阪府警は樋田の顔写真や逃走中の彼が映った映像などを公開しテレビやネットではそうした
情報が連日報道されていたのですそれなのにも関わらず逃走中の日だと出会った人々
は彼が逃亡犯だということに気がついていませんでした。

その理由は樋田淳也の風貌が逃走生活の中でかなり変わっていたからです。

逃走中の彼は神を買って坊主頭にし大きな特徴だった足元のタトゥーも隠していまし
た。

また自転車の移動によって肌は黒く焼けており警察が公開していた写真とは別人のような姿になっていたのです。

そのため人々は彼の正体が樋田淳也だと気づかないまま食事や寝床を与えてしまったのだと言います。

そのようにして樋田淳也は香川高知広島山口などを移動していきました。

 

驚きなのが、この移動中に彼は警察官に何度も話しかけられているということです
職務質問にも複数回に渡って応じています。

しかし誰一人として彼が樋田淳也だと気がつくものはいませんでした。

こうして警察はみすみす逮捕のチャンスを何度も逃して
しまいます。

そんな状況を受けて樋田淳也はいい気になっていたことでしょう。

樋田淳也逃走から逮捕へ

しかし彼の逃走劇は思わぬ形で幕を閉じることとなります。

それは出そうから49日後の9月29日のことでした。
この日食料を手にしたい枚は山口県周南市
にある道の駅で万引きをしようとしています
そんな彼の様子を怪しんでいる人物がいました。

それは万引き対策のために私服で巡回していた女性警備員です。

彼女はヒダが会計を済ませていない商品を服の中に入れて外に出て行くところを目撃
していました。

そこで警備員は彼が逃走中の樋田淳也だと気がつかないまま万引き犯として
身柄を確保したのです。

 

これに対して樋田淳也は財布を取りに来ただけだと話していましたが結局は事務所に連れて行かれることになりましたこの時ムリヤリ逃走することもできたはずですが騒ぎを大きくするのは得策ではないと考えていたのでしょう。

彼は言い訳を並べて何とかその場を逃れようとしますしかし警備員はそうな
言葉に耳を傾けず警察への通報を入れたのです。

 

この姿を目にした樋田淳也は慌てて事務所の外に出て行こうとします。

ですが警備員によって彼は押さえつけられてしまいました。

そうこうしている間に警察が事務所へと
到着しただの万引き犯だと思っていた相手が逃亡犯を樋田淳也だということが明らかに
なったのです。

これを受け捜査員は樋田淳也のことを加重逃走容疑で逮捕しています。

こうして49日間に及ぶ彼の逃走生活は終わりを迎えたのです。

この間大阪府警が投入した捜査員は8万7000人にも上りました。

 

富田林署の見直し

なお今回の事件で富田林署のずさんな留置管理体制が確実のものとにさらされること
となったため当然ながら現場では警備体制
の見直しが行われています
また当時の署長らは懲戒処分を受けることになりました。

 

樋田淳也へ懲役17年の実刑判決へ

その後2019年2月25日
に大阪府警は樋田淳也を科してきた兄43件の犯罪を立件しすべての犯行に対する捜査を
終えたと発表しています。

 

そして強制成功罪や強盗致傷罪などを含む、21件について起訴することとなりました。

それから大阪地裁で裁判員裁判が行われ2020年7月3日に懲役17年の実刑判決が下されています。

大阪地裁は樋田淳也が出所後すぐ再犯におよん
でいることや逃走中にも数々の犯罪に手を染めたこと、公判の中で反省の色が見え
なかったことなどを判決の理由として述べました。

しかし樋田淳也本人はこの判決を不服とし1週間後の7月10日に控訴しています。

そうして大阪高裁での控訴審が始まったのですがそこで一審判決が破棄されることは
ありませんでした。

控訴審判決公判が2021年7月5日に開かれ裁判長は弁護側の控訴を棄却しています。

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